ここさえ読めば分かる!長大長編【失われた時を求めて】

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数多の名作に数えられる一つにマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」がある。自身が読んだ岩波文庫版は、翻訳と思えない読みやすさ、校訂までもが凄いと思えた力作。

新たな気づきを与えてくれる本を良書と呼ぶなら、確実に良書の類。

まずは個人的に思うこの小説の特徴を抽出してみよう。

「失われた時を求めて」4大特徴

4つの特徴を挙げていく。

最初の3つは一般にも言われている事と思うが、最後4つ目は独自目線による特徴を挙げた。

プルースト効果

一つ目は、プルーストの代名詞無意識的記憶現象」だろう。匂いや感触などの五感から、とある記憶が呼び覚まされる現象を指す。別名プルースト効果とも言われる。

小説の有名なシーンに、主人公*がマドレーヌを紅茶に浸した時、その香りで幼少時代を思い出す場面がある。

*物語の主人公には名前が与えられていない。「わたし」として語られるが、所々でプルースト自身を仄めかす描写も登場する

マドレーヌと紅茶の描写以外にも無意識的記憶現象は登場する。この物語のキーでもある。読了後しばらくの間は、同様の記述に出会う度に、ついプルーストを思い起こしてしまった。

もちろんこのような記述はプルーストの特権ではないからだが、プルースト効果という別名が表しているように、プルーストによる描写は圧倒的だ。

円環する物語

2つ目、円環といえば、ボルヘス「伝奇集」の「八岐の園」なども有名だが、「失われた時を求めて」も負けていない。物語を終わりまで読んだら、初めに繋がる小説のことを円環小説と言う。読み終わった後に、また最初から読みたくなる。

本作は物語が長いだけに、読み終えた時の感動も一入(ひとしお)。そこにさらに円環小説ならではの興奮が加わる。終盤で全てが繋がった時、ただ長いと思っていた場面にも意味があった事が分かる。

究極的カタルシス!

自身の小説評価で言えば、途中までは★4であった。マドレーヌと紅茶など、圧倒的に良い!素晴らしい!と思える箇所がいくつかある一方、特徴の一つでもある「長い」と感じる箇所も多かったからだ。

ところが最後まで読んだ時、円環の醍醐味を味わった時、★5以外あり得なえいと思った。最後まで通読した人しか味わえない感動がある。

長いよ

3つ目、そもそもの物語がまず長い。完訳までに10年かかったと言う岩波文庫版は全14巻(総数7974ページ)。自身の読書体験で言えば、読了まで約半年

一気に読み通す集中力がある人は天晴れ。自分の場合途中スランプがあった。

スランプは何だったかと端的にいえば「長いと思って読み飛ばしている箇所にもエッセンスはあり、プルーストの醍醐味を味わえていない」という訳者の指摘を読んで、あまりにも図星だったため、頑張って読んでいる意味がないのではないか、と落ち込んだからだ。

noteに詳しく書いてあるので、どのように立ち直ったかも含めて興味がある方は参照頂ければと思う。

長い物語というだけでは他にも色々あるだろう。ここで言いたいのは決して総ページ数の事ではない。分かり易い批評にこんなのがある。

「わたしの頭が固いのかもしれないが、眠くなるまでベッドで寝返りを打つ様子を描写するのに30ページも費やす人間がこの世にいるなんて、どうしても理解できない」

「失われた時を求めて」の原稿を却下した人の言葉として、「薔薇の名前」作者ウンベルト・エーコが、その著作「小説の森散策」の中で紹介した文章。

読んだ事がある人なら誰しもクスッとなるはず、とクスッとしている。

文章が長いという事はつまり、一つの事をこれでもかというぐらい、とても細かく描写する力に長けているという事でもある。出版され始めた頃、「まるで顕微鏡でも見るように」という批判が実際にあった事が小説内に書かれている。

これで負けるプルーストではない。小説内でやり返す

わたしが使ったのはそれとは逆の「望遠鏡」であり、それらが確かに極めて小さく見えるのは、遥か遠くにあるからだ。

実際の批判に小説内で応酬するというのは、物語が長いからこそなせる技。「小説とは」「作家とはかくあるべき」というプルースト自身の小説見解が物語後半で語られるのも面白い。

そんな長い物語は勘弁だ、という方への入門としてマンガもあるのでご安心を。

西洋の社交界、日本のお茶文化

最後、この項目は自身の読書体験によるものである。

西洋の古典には割と社交界の描写があるものの、日本人にはおよそ馴染みがない。豪華で華々しい、煌びやかな場面を思う人もあるだろう。かくいう自分もその1人であった。

知らない世界を知るための読書、本で読んだことのある人なら、社交界が先ほどの想像とはかなり違った場所(欺瞞や罵り合いで溢れかえる)でもある事をご存じと思う。

本作ではこれでもか!という程、社交界の場面が登場する(長いだけに)。そう、この本は「社交界とは何だったか」を大いに学べる本でもある。

さて、社交界がどんなところだったかを詳しく論じたいのではなく、社交界を学ぶにつれて「大変だなぁ」という声がどうしても漏れる。そこで日本はどうだったか、と思いを馳せると

西洋と東洋の文化の違いが見えてきた。

日本には社交界は存在しなかった。代わりに育ったのはお茶文化

お茶と言っても、日常的にお茶を楽しむと言った意味ではなく、鎌倉時代から徐々に生活に浸透し、特に戦国武士の間で人気となったお茶である。

わずか四畳半しかない茶室。躙口と呼ばれる狭い入り口には、武士の命でもあった刀を背負っては入れない。己自身と対座するかのような狭い1角に引き篭もる。精神統一。「コッとんっ」。

鹿おどしの音が聞こえてきそうな、静かな空間を好んだ

西洋の社交界は対外的であらねばならぬし、常に人がいるため、言葉も相手に明確に伝わるようにできている。

比べて、曖昧な日本語。有名な例に「僕はうなぎだ」がある。僕はうなぎが好きなのか、嫌いなのか、はたまたうなぎが欲しいのか、文字だけでは分からない。省略文化

西洋の社交界、お酒を飲めば饒舌にもなろう。対外的にもなろう。
比べて日本のお茶、寡黙で内省的にもなろう、というもの。

どちらが良い悪いではない。そういう文化。
言葉は文化とはよく言ったもの、そんな事を考えながらプルーストの社交界を読んでいた。

ここさえ読めば分かる!

長い物語の入り口に立とうか迷っている方へ、たった一つのアドバイスがある。

プルーストの代名詞紅茶とマドレーヌの挿話は岩波文庫では1巻(P111〜117)にある。ここの数ページだけをまず読んでみることをお勧めする。ここに感動したなら、是非続きを読んでほしい。

自身も、長い物語を完走できるのか、不安を抱えながら読み始めたが、この部分で不安は一掃された。そして最後の感動を味わうまで、できれば頑張ってこの壮大な物語を読み続けて欲しいと思う。

紅茶とマドレーヌにピンとこないなら、おそらく時間の無駄であろう。読まないことをお勧めする。苦痛でしかないからだ。

BookTube紹介

色々なBookTubeでも「失われた時を求めて」を好きな作品に挙げている人はほとんど見ない。その貴重な1人をご紹介したい。

bibliosophieさんのmy top ten books of all time(29:54)動画より

1.
感情教育、ギュスターヴ・フローベール
“Sentimental Education” by Gustave Flaubert

2.
スワンの道(「失われた時を求めて」の一部)、マルセル・プルースト
“Swann’s Way” by Marcel Proust (part of “In Search of Lost Time”)

3.
伝奇集、ホルへ・ルイス・ボルヘス
“Ficciones” by Jorge Luis Borges

4.
未邦訳、サボー・マグダ
“Katalin Street” by Magda Szabo

5.
巨匠とマルガリータ、ミハイル・ブルガーコフ
“The Master and Margarita” by Mikhail Bulgakov

6.
スーラ、トニ・モリスン
“Sula” by Toni Morrison

7.
未邦訳、クラリッセ・リスペクトール
“A Breath of Life” (or “Pulsations”) by Clarice Lispector
*翻訳された他作「星の時」

8.
ルーシー、ジャメイカ・キンケイド
“Lucy” by Jamaica Kincaid

9.
ホワイト・ティース、ゼイディー・スミス
“White Teeth” by Zadie Smith

10.
両方になる、アリ・スミス
“How to Be Both” by Ali Smith

動画を見られた方はお気づきかと思いますが、彼女はまだ「失われた時を求めて」の旅の途中のようですね。感動のゴールを願っております✨

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